第一章‥‥ミクロトンネルに近づく‥‥
祝・昆虫デビュー 1998年 初夏 31歳にて俗にあまり言われない“虫屋”デビューをはたした。パンク・ニューウェーブの影響をうけた音楽好きは、他人との協調性に欠け、臍曲がりのあまのじゃくで少しでも世の中の流れとは、違った方向に自分のポジションを置きたがる人間が多い。というか、俺がそうだからなんだけど。
そして、世の中にでてる虫関係のエッセイなんかを読むと、所謂虫屋もそういった感じの人々が多いらしい。まぁー、周りから変人扱いされる事に酔っている気もするが。‥‥ なにはともあれ、まずは虫屋になってしまったきっかけから、話を始めようと思います。
虫捕りをせっせと始めたのは、別に虫にたいして特別な想いがあったわけでもなく、子供の頃から死ぬほど好きだったわけでもなく、単純に必要にせまられたからで、標本のやりかたも知らなかった。その時、たまたま飼っていた南アメリカ産のヤドクガエル(たまたま飼うものでもないような、気もするが‥‥)のエサを探すために家の周りをウロウロして小型のクモを、ちまちま、生け捕りにしなくてはならぬ事がすべての始まりなのでした。ちょっと大袈裟だけど…。その飼っていた毒ガエルなのだけど、体長が2cm足らずで名前が示すとおりヌメヌメとした皮膚が猛毒で有毒動物界のチャンピオンに君臨している。ちなみに、どのくらい猛毒かというとD・モリスの著書によると、種類によって差はあるが最強の種からもし、1オンス(約28g)集めればふつうの体格の大人を、250万人以上殺せるらしい。たった1グラムでも、軽く10万人ぐらい殺せる。しかし、こんな恐ろしいカエルが平気で日本に輸入され、その辺の爬虫類屋で、2万〜3万円で購入できるのだからどうかとおもうが…。おっと、それを買ってしまう自分のような奴が、悪の根源なのは言うまでもないか。今はもう何年も、爬虫類屋には足を運んでない。金も無いし…。でもやっぱり爬虫類・両生類には、魅力を感じてしまうなぁ。話がそれたので元にもどすと、その2cm足らずの派手な毒ガエルは、動いてるものしか見えないらしく、2mmから大きくても5mmぐらいの生きた虫しか食べてくれないので、エサの確保が長期飼育のポイントになるのでございます。
そこで、カエルマニアはどうするかというと、外国産ハネなしショウジョウバエを買って養殖し続けるか、外で生きた虫を気合いで捕るしかない。そこで私は後者の方法でエサ探しに興じているうちに、クモが最も簡単かつ、たくさんいる事に気が付いた。
さっそくクモに狙いを定めて捕獲しているうちに、今度は同じ種類がなかなかダブらなくて、色彩にしても、サイケなものからイブシギンなものまで、あまりにもバラエティーに富んでいるのにビビッてしまい、カエルにやるのがもったいなくなってしまった。そして、面積にして車2台ぶんほどの範囲にいったい何種類のクモがいるのかを、本気で調べたくなってしまった。
さっそく本屋さんに走って、クモ図鑑を入手した。ところが、図鑑の写真と本物のクモを見比べてみても名前がわかったのは、ごくわずかで、おそらく一冊の本では、とてものりきらない程、種類が多くてしかも学術的に名前のついていないものばかりじゃなかろうかという気がしてきて、なんとも未消化な状態におちいりそうなので、名前を調べるのは、とっととやめにしたのでした。(あと、“蜘蛛には、手をだしてはならぬ!”という声が、したような気がしたので…。)
さて、その燃え上がった私の中のへんな好奇心は、消えるどころがますます温度をあげていきそうだったので、矛先をクモから違う何かにかえる必要がでてきてしまった。季節は春から夏へむかう頃で、日本において一年中で最も昆虫の種類が多い時期も重なってか、へんな好奇心はテントウムシや葉を食べるハムシなどに代表される、小型の甲虫へとすり替わって、アリの巣より、すこし大きめの“ミクロトンネル”の入り口に立ち、足を踏み入れたのでした。
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